熊本県玉名市のお米の歴史-自然栽培米・自然農法米サイト-

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矢印熊本県玉名市のお米の歴史-前田自然栽培米・自然農法米-

農薬や肥料を一切使用せずに自然栽培されている
前田自然農法米が作られている玉名市は、
どのような場所なのでしょうか?

玉名市の菊池川沿いでは、今でも
広大に田んぼ風景が下の写真のように広がっています。

玉名の田んぼ

実は、この玉名は米生産地として有名な所だったんです。

玉名市の菊池川沿いに高瀬と呼ばれるがありますが
高瀬には、菊池川河口に臨む港があり、
古くから中国などの外国船が出入りしていたそうです。

加藤清正や細川氏によるお米の船着場の整備

加藤清正は、肥後入国後に菊池川の工事を1589年~1602年に行い、
菊地、山鹿、玉名地域で生産されたお米を集め、積み出すことができる
船の発着場所や米蔵を整備しました。

加藤清正のこの事業は、そのまま細川氏に受け継がれ
船着場や米蔵の施設はさらに充実させ、
川べりへ通ずる石敷の「俵ころがし」とよばれる坂道と、
川へ突出する石畳と、御蔵へ通ずる石段などを築きました。

藩が年貢として集めたお米は、上流より船で運び、
川を下って高瀬船着場に集められ、
いったん米蔵へかつぎこまれ保管されていました。

藩は、この米を大坂の藩蔵屋敷に輸送し、
現金にかえ、藩財政の源としてということです。

下写真は高瀬船着場

高瀬船着場

この高瀬船着場は、熊本藩で最大のお米出荷場所で
最も多い年で25万俵も取り扱っていたそうです。

すごいですね。

大阪へ運ばれた肥後米は、全国の基準米として
その年の米相場を左右していたと言われ、品質が良かったようです。

明治10年(1877年)の西南戦争により高瀬御蔵は蔵米20余万俵とともに
消失して今では、跡地しかありません。

玉名市のお米は、
当時大阪に盛んに送られて
その年の米相場を左右していた肥後米だったのです。

熊本県玉名市で採れた
農薬・肥料を使用しない自然栽培で育った
安心安全の前田自然農法米をお届けしていきたいと思います。


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