飛脚や人力車夫から見る日本食|前田自然農法米ミナミニシキ

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矢印飛脚や人力車夫から見る日本食|前田自然農法米

現代では、
バイク、車、飛行機、船と運搬技術が発達し
東京から大阪までの郵便物なら1日半ほどで到着します。

現在の運搬技術が発達する前の
江戸時代では
江戸から大阪までの約550kmの距離をどれくらいかけて運んでいたのでしょうか?

現在では、通常便で1日半で到着できるかと思いますが
当時の通常便では25日ほどかかっていたそうです。

でも、急ぎの場合もありますよね。
その時の「特急便」が飛脚というシステムでした。

江戸時代には情報の伝達手段として、飛脚が発達し、
江戸幕府は、
全国各地へ公文書を伝達するため、継(つぎ)飛脚制度を作ったそうです。

飛脚で発送すると
江戸-大阪(約550km)の荷物を2日半から3日で届けたようです。

一人の飛脚ではなく、駅伝方式で繋いでいたと思いますが
一人一日に150km以上は走っていたそうですから驚くべき速さと体力です。

飛脚や人力車夫の食事

さて、この驚異的な体力を持った飛脚は
どのような食事をしていたのでしょうか?

飛脚の食事の記録によると
走っている際は、麦飯のおにぎりと漬物程度
普段の食事も麦入り玄米ご飯、漬物、味噌汁、魚の塩焼き程度だったと言います。

明治時代には、ドイツ人のベルツという方が、
人力車をひく人力車夫の
体力に驚愕し、実験を行ったそうです。

一人には、従来通り日本食の
お米、大麦、芋類、栗などの高炭水化物、低タンパク質、低脂肪の食事。

もう一人には、西洋の食文化の
肉類を中心とした高タンパク質、高脂肪の西洋の理想とする食事。

体重80kgの人を乗せて毎日40kmを走らせたところ
西洋の食事をとっている方は、3日目で疲労が激しくなったそうです。
元の日本食に戻したらまた走れるようになったと記録にあります。

結果として
日本人には日本の食事が体に合っているのだろうという結論でした。

第二次世界大戦後から急速に
西洋文化が入ってきて「体を大きくする栄養学」が好まれて
炭水化物、タンパク質、脂肪の栄養をきちん摂りましょうとなり
肉食文化が入り、牛乳もよく飲まれるようになりました。

その結果、
子供の平均体重・身長も大幅に増加しましたが
平均運動能力は低下してきています。

下図は、持久走の体力テストの年次推移です。
13歳・18歳男女の持久走の年次比較ですが、
昭和50年までは、向上傾向にあったようですが
昭和60年以降は減少傾向が著しくなってきているようです。

【子供の体力・運動能力の推移】持久走の年次推移

持久走運動能力
参照:子供の体力の現状(文部科学省) http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/gijiroku/attach/1344530.htm
注)
1.数値は平滑化している。
2.男子は1500m、女子は1000m

戦後昭和30年以降に西洋の食事が広がってきて
昭和50年頃にはすでに一般化してきたと思います。

もちろん食事だけでなく、
運動する機会も徐々に減ってきたことも影響しているでしょう。

日本人の本来の食事とは!?

強靭な体力を持っていた江戸時代の人たちと
現代の人たちを食事の面で比較すると

江戸時代の人たち:高炭水化物、低タンパク質、低脂肪
現代の人たち:低炭水化物、高タンパク質、高脂質

見事に逆になっています。

もともと穀菜食の日本人の腸は7m、
肉食の西洋人の腸の長さは4mと言われているように、
体内の構造自体が穀物消化に向いていると言われています。

ダイエットのために低炭水化物が良いという考えの人もいるかもしれませんが
昔の日本人の食事は、穀物主体の高炭水化物食事である事を考えると
原因は炭水化物にあるのでなく、
高タンパク質、高脂質、さらには運動量が関係しているのではないかと思います。

もちろん、肉食は、嗜好品として楽しむ程度は良いかと思います。

もしくは、運動量が多く、
肉食動物の狩りをする時のような
瞬発系のスポーツには、肉食は向いているかもしれませんね。

ただ
一般の方は、炭水化物の穀物主体の食事が
歴史的に本来の日本人の食事かと思います。

江戸時代と現代で食べているお米は違う!?

日本人の食生活に密接に存在してきた穀物は米ですが、
江戸時代の人たちと現代の人たちが
食べているお米を比較すると実は違うお米を食べています。

江戸時代には
一人一日5合お米を食べていたと言われています。
現代の人は、一人一日1合弱ですので
江戸時代の人々は、現代の約5倍のお米を食べていたことになります。

当時のお米は、あっさり系のお米が主流でした。
明治時代に生まれた有名品種の【旭】や【亀の尾】もあっさり系品種ですよね。

その前もずっとあっさり系品種でした。
そのため一人一日5合も食べることができたのですね。

現代では
1970年代頃(昭和50年代)から
甘味や粘りを追求したコシヒカリが好まれるようになりました。

美味しいお米の代名詞はコシヒカリとなり
1979年には、コシヒカリは全国作付面積1位となり
多くの農家さんもコシヒカリ系のお米を栽培するようになりました。

私達が普段食べている
甘味や粘りのあるお米は、実はここ40年ほどで広まってきたお米です。

日本の稲作文化は約3000年と言われていますが
2950年以上は、あっさり系のお米が主流だったのです。

江戸時代の人たちが食べていたお米と
現代の私達が食べているお米は、実は違うお米なのです。

昔のお米の特徴を持つあっさり系のミナミニシキをお届けします!

熊本の自然農法家が
「食べた人が健康になれる本物のお米」を追求した結果
昔のお米にヒントがあると考えました。

昔のような栽培方法で
昔に存在したようなあっさりしたお米を届けたいと思いました。

熊本県の自然農法家:前田 英之さんは
10年以上農薬も肥料も使用せずに自然栽培米を作っています。
さらに昔のように自家採種をしているので
年々より純粋なお米になっていきます。

栽培品種は【ミナミニシキ】ですが
ほとんどの人は聞いたことが無いと思います。

昔のお米の特徴である
・晩生(おくて:収穫が遅い)
・長稈(ちょうかん:稲の背が高い)
・食味があっさり系
のお米の特徴を持ち、現代ではほとんど栽培されていません。

「食べた人が健康になれる本物のお米」を追求し
昔のお米にヒントを得て、
昔のお米の特徴を引き継ぐ【ミナミニシキ】を
農薬・肥料を使用せずに自然栽培で育てた
前田自然農法米ミナミニシキをお届けいたします。

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