こんにちは!自然栽培米専門店ナチュラルスタイルの井田敦之です。
現代農業では特に戦後から田んぼにも肥料を使用しだし、多収穫を目指してきました。
自然栽培米では肥料を一切使用しないので、一般の慣行栽培と比較してどうしても収量が減ります。
自然栽培米は収穫量は少ないと思われていますが、私たちはそれが自然がもたらした適正量だと考えています。
稲作において「肥料を使用せず自然の力のみで育った場合の適正な収穫量はどれくらいなのか?」を知るための参考として、現代の自然栽培米と江戸・明治時代のお米の収量を比較してみました。
自然栽培米の平均収量とは?
お米の栽培方法には大きく分けて、下記の3つがあります。
・慣行栽培:農薬も肥料(化成、有機)も使用可
・有機栽培:一部の許可された天然由来の農薬使用可。有機肥料のみ使用可
・自然栽培:農薬も肥料(化成、有機)も使用不可
各栽培方法での平均収量を見てみると
・慣行栽培米:約9俵(540kg)/反
・有機栽培米:約7俵(420kg)/反
・自然栽培米:約5.5俵(330kg)/反
慣行栽倍米とは、農薬も肥料(化成、有機)も使用する栽培ですが、その慣行栽培米と比較して有機栽培米は、収量は約80%となります。自然栽培米においては、収量は約60%になります。
自然栽培米においては肥料を加えて収量を上げる事はしません。
多くの自然栽培米農家さんとお話しをすると平均収量は約5.5俵(330kg)/反ですが、西洋から農薬や肥料が入ってくる前の江戸時代や明治時代のお米の平均収量はどれくらいあったのでしょうか?
江戸時代、明治時代のお米の平均収量
日本で最初に大掛かりなお米の収量調査をしたのは太閤検地だと言われています。
※太閤検地:豊臣秀吉が日本全土で行った田畑の測量及び収量調査
太閤検地以後、田んぼの生産量の優劣に応じて上田、中田、下田とランク分けされており各田でのお米の収量を見てみると
上田:一石五斗 (3.75俵 = 225kg)/ 反
中田:一石三斗 (3.25俵 = 195kg)/ 反
下田:一石一斗 (2.75俵 = 165kg)/ 反
※一石=十斗=100升=1000合=150kg=2.5俵
1600年代の江戸時代初期において平均収量を見てみると0.963石(2.4俵 = 144kg)/反 だったと言われています。
出典参照:Wikipedia 勤勉革命
1869年に明治元年となりますが、1883年(明治16年)頃には平均収量は約180kg/反となりました。1883年以降のデータは下記の出典が参考になります。
出典参照:全国水稲平均収量の累年統計から
まとめると
江戸時代初期が約2.4俵 = 約144kg/反
明治時代初期が約3.0俵=約180kg/反
約280年の間に生産効率を1.25倍にあげたという事になります。
緩やかな変化ですが、江戸時代に冷害に強い稲など種取りをし品種改良をしたり作業効率化の為に各種農機具を開発したり農業用水路を整備したりと改善をしていったようです。
自然栽培米の平均収量は妥当なのか?
1890年代頃から西洋から農薬や肥料が日本に入ってきました。
1950年代に水田で本格的に農薬が使用され、化成肥料、有機肥料を使用し現在では、平均収量は約9俵=540kg/反と明治時代初期と比較し約3倍近い収穫量と短期間に劇的に増加しました。
この急激な増え方は稲作での機械化等もありますが農薬と肥料の影響が大きいでしょう。
しかし、近年に農薬や化成肥料、そして多量に入れ込む有機肥料などに疑問を抱き、徐々に昔の農法に目を向ける農家さんが出てきました。
江戸時代、明治時代初期では、基本的には、刈草、草木灰、牛や馬を飼っている農家は厩肥、人糞尿などを使用していましたが、基本的には地域で循環している有機物でした。
現在の自然栽培米においては、肥料を不使用が原則のため収穫時のコンバインの後ろから出る稲わらの粉砕物が有機物補給となっています。
明治時代初期の平均収量 約3俵=180kg/反
自然栽培米の平均収量 約5.5俵 = 330kg/反を比較すると栽培品種(自然栽培米農家は自家採種)の改良や農作業の機械化による生産効率性向上が影響していると考えられます。
農薬や肥料を使用しない環境下でも10俵/反 収獲するという方もいますが、5.5俵/反というのは、歴史的な収量を見ても妥当な収量だと考えられます。
自然栽培米農家さんが
平均の5.5俵/反よりもっと収量を上げるとすると
・土作り
・土地にあった栽培品種選び
・自家採種によるその田んぼに合った種籾作り
・草の管理の改善
等の地道な施策が必要となりますが自然に沿って栽培する自然栽培では、その収量の伸び方は緩やかでしょう。